仙狐さん第27尾感想: ジャスコの決断が尊い

仙狐さんはいいぞ

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仙狐さんはいいぞ。いいぞとしか言えない語彙の弱いオタクだが、仙狐さんはいいぞ。まだ読んでいない人は読もう。アニメももうすぐ始まるぞ。

仙狐さん、

  • のじゃ
  • ロリ
  • きつね
  • 年上
  • 胸がない
  • きつねみみ
  • きつねしっぽ
  • もふもふ
  • 美しい金色
  • 元気でかしこくてデレすぎない性格

と、ほぼ全ての点で私の好みのストライクゾーン中央付近を射抜いている。

こうなると逆に、仙狐さんは自分にとってのきつねキャラの典型像がそのまま顕現したかのような錯覚を覚えてしまい、ともすると昔から存在するキャラみたいな錯覚さえある(いや、仙狐さんは800歳なので鎌倉時代から存在するので「昔から存在する?」の答えはYesでいいのだが)。

この違和感のなさはヤバイ。自分の家のような安心感というか、ここは自分の家ですよときつねに化かされているような気分だ。私の将来の夢は「ここは自分の家ですよ」ときつねさんに化かされて「なるほどそっかー」とキャッキャウフフと幸せに暮らすことではあるので正しいのですが。

違和感がなさすぎたので、「うおおおーーー仙狐さんを読めぇぇぇー!」って発火するタイミングも逸してしまった気がするし、何がいいのか説明する時に語彙の少ないオタクになってしまったりしていたのだが、アニメも近いのでこのエントリを書くことにしたのだった。

実際、「王道のきつねさんキャラはこのようなものだ(フンス)」と私の中では思っていても、外部から供給されるきつねさんキャラを色々見ていると割と少数派なので、大事にしていきたい。

仙狐さん第27尾感想

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さて、そのように仙狐さんは違和感がなさすぎて、毎回楽しみに読んで素晴らしいと思っているのですが、読むと「うんうん、我々の日常生活はこのように仙狐さんと過ごすものであった、再確認できてよかった」という認識改竄魔法にかかり、完全に自分の一部となってしまうので感想が「良かった(語彙の貧弱な(ry」みたいになってしまっていたのだが、なんとか言語化する作業に入りたいと思う。

第27尾は(いきなり仙狐さんじゃなくてシロ回であるが)私の好きな話の一つである。全部好きだけど。

ジャスコさんが人間じゃないって気づきながら知らないフリをしているの、ものすごくわかるんだ。

私は普段きつねきつね言って回っているのだが、その一方で

  • 正体を知られるといなくなってしまうきつねさんもいる (見るなのタブーなど、古くから見られる物語典型である)
  • ヒトもきつねさんも同じだし、これからの時代共に社会を作っていくにあたって種族の違いをことさら気にするのはよくない

という思いがあるので、もし(仙狐さん第1尾のように)目の前にかわいいきつねさんが現れたら耳が出てても指摘せずに平然と接して誰にもそのことを言わないだろうみたいな思考予行演習はよくしているし、そうだからこそ実際にきつねみみの女の子が世の中にちらほら実在しても誰も他人に言わないからその存在は知られていないのだとも思うし、実際にきつねさんと遭遇しそうな状況におかれると(自分でもそうなるとは予想していなかったのだが)きつね要素を目に入らないような行動をしたりしていた。

きつね娘カフェというのが名古屋某所に存在して(知り合いにこの話をしても普段の言動がきつねまみれなのが災いして一向に信じてもらえない……本当に存在するんだ、ウェブページもあるんだ、自分でウェブページ捏造したんでもないんだ)、そこに行ったことがあるのだが、入った瞬間私の頭がぐるりと回転し、

「なるほど、ここはきつね娘……という設定の人間の女の子が給仕してくれる喫茶店……という設定を隠れ蓑にしてきつね娘でも人里で気兼ねなく働けるスポットなのだ……給仕してくれる人はきつね……かもしれないしきつね設定の人間……かもしれないしきつね設定の人間の間にまぎれて偽装している実はきつねさんかもしれないのだ……」

という結論に到達し、とてもおとなしーく普通の喫茶店であるかのようにお茶の飲んで帰ってきた。

……仙狐さんとは関係ない話が長くなってしまったが、こんなことを思ったりしたりしていたので、一緒にいたいからこそ相手がきつねさんであることに気づかないフリをする気持ちは見覚えのある気持ちだった。

そしてこの、一緒にいたいからこそ、の気持ちが変わらない以上、この気づかないフリをすることは、他のこととは、自分だけのための何か他のものとは、引き換えにできない、天秤にかけられないことなんだ。

だからこそ、「お願いがあるんだ」って言った時のジャスコは、もっと大切なことを天秤のもう片方に乗せていたんだ。天秤の片方には、気づかないフリをすること、気づいていることを言ってシロがいなくなっちゃったらどうしようっていう気持ちが。そしてもう片方に乗っていたのは、シロと一緒に作った原稿、一緒に原稿を作った時間、二人一緒の時間から生まれたものを無駄にしたくない、きちんとした形にしたい、という思いだったのではないか。天秤の両方に乗っていたものはどちらもシロと過ごす時間の重みで、ジャスコはここでシロとの信頼関係に背中を押されて、より積極的な方に天秤を傾かせた。だから、この時シロは、今までみたことのないジャスコの顔を見たのだと思う。

そのジャスコの表情はなー、だからシロだけのものなんだよー、だからこのコマでジャスコは読者に背を向けているんだ!!

みたいなことを思って尊さに打たれたのであった。時間がかかったけど言語化できてよかった。

誰かに教えてもらったことで、誰かのために何かをすること

注意: 以下のネタバレを含みます

最近自覚したのだが、私は「誰かに教えてもらったことで、誰かのために何かをすること」がとても好きな性癖らしい。ケムリクサ11話を見てこのことについて書こうと思ったので、当該シチュエーションの他の作品も含めて感想を書いた。何がどのようになってなぜこのパターンが好きなのかはまだ分析が追いついていないが、とりあえず好きと思ったポイントを書いてみようと思う。(各作品の良さはこれ以外にもあるのですが今日はとりあえずこれ関連だけ)

(※)のついた段落の内容は私の妄想あるいは独自解釈である気がしていますので、実際の本編で出てこなくても石投げないでください。

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